視点を変えて

 主のみ腕によって、エジプト軍の追撃を逃れ、その手から守られました。この出来事で、主を西部劇の先住民族との抗争で勝利を収める騎兵隊のように見てはなりません。

 エジプト軍の兵士も神が創造された生命を生きる人間で、家に帰れば善良な父、善良な夫、善良な息子が、そしてかつては民の隣人だった者もいたはずです。ファラオの命によって民を追撃した兵士たちの中にもファラオの犠牲者がいたのです。

 モーセとミリアムは民が主のみ腕によってエジプト軍の手から解放された感謝をその重みを噛みしめながら主に向かって歌ったのです。2人が歌ったのは感謝で、歓喜ではありません。でも30節から想像すると民はその歌に歓喜して和したようです

 感謝と歓喜の違いはすぐに表れます。このあと民はシュルの荒れ野に入って3日目、水が得られないことで不平を口にしたのです。主が、ご自分の創造された生命を犠牲にしてまで、民を救われたその日からわずか3日目です。


祈り