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過越の夜、イスラエルの民の初子を除いて、主が国中の初子を打ちました。それまでかたくなに民の出国を拒んでいたファラオもとうとう民が去るのを認めたので、いよいよ民がエジプトの地を去るときが迫りました。 その過越の夜、イスラエルの民は、「腰帯を締め、靴を履き、杖を手にし、急いで食べる」(12章11)と旅立ちの姿でとるように命じられた過越の食事を終えて待機していました。民がエジプトに来てからの「430年」(12章40)に比べると、ほんのひとときに過ぎませんが、身支度して待つ民の中には、この一夜を無限に長く感じた者、ある者はまた出発できないのではという不安にかられながら息詰まる一夜を過ごした者がいたはずです。 そして一夜明けた翌日、民は陽光の中で希望への旅立ち声、解放の良い知らせを聞きました。 創世記1章に創造の業が終わる毎に「夕べとなり、朝となった」と述べられているように、神を信じて待つ者には必ず新しい希望の光が射し込む時が訪れ、闇の時は終わるのです。
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●祈り