顕現節第3主日


もとの道に帰る

 私は昨年、ある病院で開催された「病んでいる方の魂の配慮」に関するセミナーに出席しました。この病院は、キリスト教を基として医療を進めている病院であり、朝とお昼に聖書から短いメッセージを院内に流しています。セミナーの中で、ある受講者が「病室で家族の付き添いをしている時、お昼の放送が『罪、罪』と連呼し、『悔い改めないと天国には行けません』と放送されるので不愉快になり、放送のスイッチを切ってしまった。」とその病院のチャプレンに語ったのです。病の中にある人に聖書の福音を語るなら、罪や悔い改めよりも、キリストの愛や癒しを語ったほうが良いのではないかと言う要望がなされました。「罪」「悔い改め」という言葉は、キリスト教を深く知らない人にとって、時には不愉快に聞こえることを知り、改めてキリストの福音をどのような言葉で語るかを考えさせられました。

 私自身も、最初「罪」と「悔い改め」という言葉を聞いたとき、良い印象を持った者ではありませんでした。あたかも、私が何か大きな犯罪を犯した極悪人であるかのように聞こえたからです。日本語の「罪」という言葉は犯罪と言う言葉と結びつき、私たちが日本の法律を犯し、その罰を受けることを連想することがあります。しかし、聖書が語る「罪」は的外れの生き方を指した言葉です。神さまの道、愛と正義の道を外れて生きることが罪です。人が神さまの道を外れて生きるとき、自分本位な身勝手な生き方、自分のやることはどんなことでも正当化する生き方になります。

 今日の聖書日課は、「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」(15節)と記されています。イエスさまがガリラヤで最初に語られた言葉は「悔い改めなさい」という言葉です。神さまに選ばれた民であり、神さまの道をまっすぐに歩いているはずのイスラエルの民に対して、イエスさまは「人生を軌道修正して、もう一度神さまの道に立ち返りなさい」とお語りになったのです。人は、すぐに神さまの道から外れ、自分本位の道を歩みたがります。そして、その道から私たちを神さまの道へと戻してくれるのが、イエスさまの言葉です。「悔い改めなさい」というイエスさまの言葉は、私たちが神の道、救いの道から外れることのないようにとの導きの言葉です。私たちは、しっかりイエスさまの言葉に耳を傾け、悔い改めの人生を歩んでまいりましょう。


祈り