主の洗礼日


本当の正義

 私の小さな子供は正義のヒーローが大好きで、悪人や怪獣をやっつけるアニメのテレビを良く見ています。私も小さい頃、悪者を倒す仮面ライダーを夢中になって見ていたことを覚えています。

 今日の聖書日課であるイザヤ書には神の裁きを導き出し、この地に正義を打ち立てるために神のしもべが送られると記されています。ユダヤの民は神から遣わされた正義のしもべがその力で悪をなぎ倒し、ユダヤの民に害をなす者たちを打ち負かすことを期待しました。私も神から遣わされた正義のヒーローがこの地で悪者たちをけちらし、完全な正義を打ち立てることを期待する一人です。しかし、イザヤ書は裁きを導き出し、この地に正義を打ち立てる神のしもべはその力と剣によって悪を制圧するのではなく、自らがその悪の裁きを身に受け、傷を受けることによって、この地に救いと正義をもたらすことを語っています。神のしもべは、

 「傷ついた葦を折ることなく/暗くなってゆく灯心を消すことなく/裁きを導き出して、確かな ものとする」(3節)

 と記されています。えてして人間が考える正義、人の考える理想社会は「傷ついた葦を折り、暗くなってゆく灯心を消すことがあります」すなわち、正義と理想の陰で弱い者が踏みにじられ、小さな者が犠牲となっていくことがあるのです。

 神のしもべ主イエス・キリストは権力と武力で神の救いをこの地にもたらしたのではなく、キリスト自らが十字架上で苦しみ、傷つくことで私たちを救う者となられました。聖書は武力や、権力を行使しては本当の正義を実現することは出来ないことを語ります。私たちもつい権力や武力に拠り頼もうとすることがあります。力任せに、自分の理想を実現しようと試みることがあります。

 しかし、私たちが掲げる理想の中で隣人が傷つき、小さな者が踏みにじられていないかと思わされるものです。真実の正義はキリストご自身が私たちのために罪の泥をかぶられ、十字架上で苦しまれたことから実現しました。私たちも本当の正義のために、隣人と共に苦しみを負い、隣人の傷を私たちも担っていきたいと願うものです。


祈り