恐れから畏れへ

 東京で撮った写真をすぐ熊本で見てもらえる携帯電話。科学技術の進歩によって、今や私たちは、かつて夢物語に思っていたようなことをも現実のものとすることができるようになりました。ここでその是非を問うつもりはありませんが、しかし、自ら築き上げた先端技術の成果によって、悩み苦しむ面があるのも事実です。特に、生死の境にまでその手が伸びてしまったことで。

 2つの「おそれ」が、今日の物語を貫いています。

 1つは、イスラエルという外国人が増え、自国に溢れかえるのを見たエジプトの王様のおそれ。もう1つは、男の子を殺せと王に命じられたとき、助産婦たちが抱いた神へのおそれ。

 それは、新しい命が生まれることをめぐるおそれ、と言い換えることができるでしょう。

 「助産婦たちは神を畏れていたので、・・」。この言葉が短い文面に繰り返されています。先端技術も何もない古代世界の話ですが、現代に語りかけるものがあります。

 何を「おそれ」て生きるのか。何千年も前に書かれた旧約聖書は問いかけています。


祈り