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「落胆しません」「行き詰まらず」「失望せず」……と、ずいぶん威勢のいい言葉が並んでいます。パウロという人は本当に落胆も失望もしなかったのでしょうか。いいえ、そうではありません。現にこの手紙の宛て先であるコリント教会には、かなり落胆も失望もさせられました。 ではパウロはカラ元気を見せて、せめて言葉の上だけでも「落胆しない」、と言っているのでしょうか。いいえ、ちがいます。10節にこう書かれています。《わたしたちは、いつもイエスの死を体にまとっています、イエスの命がこの体に現れるために》。 イエスさまの十字架は、弟子に対する「落胆」や「失望」、そして死、つまり命の「行き詰まり」でした。しかしイエスさまはそれらの苦しみの果てに、復活されました。それと同じようにパウロも、たとえ落胆しても、行き詰まっても、その果てに復活があることを信じていたのです。 あなたはいま落胆していますか? もしそうなら、それは十字架のイエスさまと同じ体験です。やがてイエスさまの復活の命が現れ、6節にあるような「光が輝き出る」時が必ずやって来ます。 |
●祈り