そこに自由がある

 聖書の知識は超一流なのにクリスチャンにならない聖書学者がいます。一方、クリスチャンとして歩んでいるのに何か自由がない、喜びがない、という人もいます。これはどちらも聖書を読みながらも、その心に覆い(ベール)がかかっているからではないでしょうか。

 そのベールはキリストにおいて取りのぞかれる、と14節にあります。

 私はキリスト教の幼稚園を出て、教会学校も休まずに通い、中学のとき洗礼も受けました。しかしずっと私の心にあったのは「まじめでなければ救われないし、主は愛してくださらない」という思いでした。だからあまり自由も喜びもありませんでした。しかしかなり後になって、「私が救われたのは私のまじめさや正しさによるのではなく、ただイエスさまが私の罪の身がわりに死んでくださったからだ」ということがわかり、何か解放されたような、自由な気持ちになりました。

「主の方に向き直れば、覆いは取り去られ」ます。自分の正しさに頼るのではなく、ただ十字架のイエスさまに向き直るとき、ベールは取りのぞかれます。そこに自由があるのです。


祈り