聖霊降臨後第17主日


約 束

 イエス様に対して、巷ではいろんな評判が飛び交っていました。イエス様は多くの人から偉大な人間であると思われていました。「洗礼者ヨハネだ、エリヤだ、エレミヤだ」と語られています。

 しかし、ここでペトロは人類史上初めて、イエス様はただの偉大な人間ではなく、メシアであり、生ける神の子であるという告白をしています。ペトロの岩のような信仰告白に、イエス様が、あなたの上に教会を建てる、と語られている場面です。そして、私たちもこのペトロのすばらしい告白に連なることを求められている、そんな場面のように思われます。

 しかし、本当にそうでしょうか。ペトロの立派な信仰告白が、私たちの見本として描かれている場面なのでしょうか。ペトロはこの直後に、「サタン引き下がれ」とイエス様に言われています。イエス様が十字架にかかる時には、裏切りの言葉を語った弟子です。私たちは信仰を告白しながら、何度でも神さまを裏切ってしまう、悪い見本といってもよいかもしれません。

 しかし、実際にイエス様の昇天の後、ペトロは教会の土台としての役割を果たしていきます。この信仰告白の場面の主人公はペトロではありません。この場面の主人公はペトロを選んだ神さまのほうです。この告白を与えたのは人間ではなく、天の父なのです。イエス様はペトロの揺れ動く心を知りながらも、イエス様の方がペトロを選んで教会の土台にしたのです。ペトロがイエス様を選んだのではありません。神さまがペトロを選んだのです。

 私たちの信仰もまったく同じです。私たちの立派な、毅然とした信仰告白が信仰を成り立たせているわけではありません。たとえ私たちが揺れ動いても、神さまが私たちを選ばれたことは揺るがないのです。私たちがイエス様を選んだのではなく、神さまの方が私たちを選んだのです。自分が決断する前に、神さまが招いているのです。神さまが決断されています。

 すぐに揺らいでしまう、弱い自分に頼る生き方から、自分よりもはるかに大きい永遠なる方に堅く結び合わされた生き方がこの地上に始まったのです。信仰が与えられることは恵みです。信仰は神さまによって与えられるものです。自分を信じるのではなく、神さまの約束を信じましょう。


祈り