聖霊降臨後第16主日


大きな信仰

 小教理問答書の「主の祈り」その「第4の願い」でルターは次のように書いています。

 「日ごとの食物とはどんなものですか」。

 「(答)それは肉体の栄養や、生活になくてはならないものすべてです。例えば、食物と飲み物、着物と履物、家と屋敷、畑と家畜、金と財産、信仰深い夫婦、信仰深い子ども、信仰深い召使い、信仰深く信頼できる支配者、よい政府、よい気候、平和、健康、教育、名誉、またよい友達、信頼出来る隣人などです。」

 よくぞ拾い出した、と感心するほど生きていくために必要なものを書き連ねています。ルターは欲深い人物なのでしょうか。そうではありません。ここで彼は生きるために必要なものは全部神さまからの贈り物であり、自分のものは何一つないことを告白しているのです。神さまからの賜物なしには生きていけないという完全な自己放棄ともいえるでしょう。

 イエスさまは今日、カナンの女性の信仰を見て「婦人よ、あなたの信仰は立派だ」とおっしゃいました。ここで「立派だ」と訳された言葉は、原文を直訳すれば、「大きい」という意味です。「大きい! あなたの信仰は!」とイエスさまは言われたのです。では彼女は何を願ったか、それは娘の病を癒して欲しいということでした。このように願うことが大きな信仰であると言われているのでしょうか。そうではありません。彼女はイエスさまだけがこの病を癒すことができることを知っているのです。イエスさまへの全面的な信頼です。

 それに比べて、私たちの祈りはなんともみみっちく、傲慢です。私たちはいつも何か足りない分だけお願いしているのです。後は全部自分のものであるかのようにです。大きな信仰、それはすべてのことが神さまから与えられるという大胆な神信頼です。キリスト教は御利益宗教ではないとか、理性的な宗教だとか、そういうキリスト教に対する批評家になるのをやめて、そろそろ本当の意味で「大きな信仰」に生きようではありませんか。


祈り