神の勝利に同意できるか

 イスラエルの中心部に位置し、イスラエルの指導者としての自負心があったエフライム人は、エフタのアンモン人に対しての勝利を快く思いませんでした。ギデオンの時にも、今回も、打算を持って、初めから戦いに参加していなかった彼らが、後で文句を言って責めているのです。

 どちらも、戦いの結果を見れば、神が、ギデオンやエフタと共におられ、人間的な予想では決して勝ち得ない勝利を成してくださったことは、一目瞭然でした。しかしエフライム人は、神の勝利を誉めたたえ、感謝することが出来ませんでした。彼らのプライドが邪魔をして、なぜ、自分たちに勝利の手柄を渡さなかったのかと、神に用いられた器を責めることしか考えられなかったのです。

 私たちの場合にも、同様のことが起こることがあります。神に祝福され、用いられる人を見たとき、私たちはどう反応するでしょうか。神の勝利に同意し、喜んで、純粋に、私も用いてください、祝福してくださいと熱心に祈っていきたいものです。


祈り