神と取引はできません

 《来て、銀を払うことなく穀物を求め、価を払うことなく、ぶどう酒と乳を得よ》(イザヤ55章1)と、神さまに言われても、一方的な恵みを素直に受け取れないのが私たちです。祈るときも、事態が深刻であればあるほど、「もし、助けてくださるなら……何々します」という取引の祈りの誘惑が強くなります。

 しかし、考えてください。《主が喜ばれるのは、焼き尽くす献げ物やいけにえであろうか。むしろ、主の御声に聞き従うことではないか》(サムエル上15章22)、《わたしが喜ぶのは、愛であっていけにえではなく、神を知ることであって、焼き尽くす献げ物ではない》(ホセア6章6)と、言われているのです。

 私たちは、神さまと取り引きして事態をどうこうできる存在ではありません。エフタの軽はずみな誓いは、大きな悲劇をもたらすことになりました。彼に必要なことは、神にのみ信頼し、従順に神に従って戦いに出かけるということだけだったのです。


祈り