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人生というか、世の中といってもいいでしょう。私たちのまわりには思い通りにならないこと、理不尽なことが多すぎるように思います。 イエスさまのたとえ話にある、毒麦のように、悪いものが横行しています。「そんなものは、抜き取ってしまった方がいい」と、私たちは思います。 ところが神さまは、「そのままにしておきなさい」と言われます。それで、この世には、条理も不条理も同時に存在するし、善人も悪人も、同じ空の下で生きています。 「これでいいのだろうか」と言いたくなります。「それでも良い」と神さまが言われるのは、神さまは、「刈り入れの時」という、解決の時期と方法とを、知っておられるからです。 たとえ、世界がどうあろうと、神さまは、《恐れるな、おびえるな。わたしをおいて神があろうか》と言われます。この声を、私たちはいつも心に留めておくことです。時には、か細くて、聞き取りにくいことも、あるかもしれませんが、神さまの声を聞こうとする姿勢が信仰です。 それは、強く立派なものでなくても、からし種ほどの小さなものでも、持ってさえいれば、成長します。 とは言うものの、現実は厳しく、私たちの生活には、さまざまの苦しみ、悲しみ、悩みが付きまといます。祈ることさえできない、祈りさえ虚しいと思えるような状況さえあります。 ところが、ここでも神さまの答えは、「それでも良い」というように聞こえます。 それは、私たちに、祈る力も言葉もない時には、「霊」が、弱い私たちを助けて、私たちのために執り成してくださるからです。私たちが、どんなに落ちこぼれてしまっても、倒れてしまってもかまいません。自分の無力、弱さ、限界を知って、「もうだめです。お手上げです」と言うことがあっても、恐れることはありません。 そういうことも含めて、神さまは、《万事が益となるように》してくださるからです。私たちは、自分が、ご計画にしたがって召された者だということを、改めて考えてみたいと思います。 |
●祈り