どこに

 今日の日課の《主の名によって来られる方に、祝福があるように》はキリストのエルサレム入城(マタイ21章1〜11)のときに群衆が叫んだ言葉ですが、同じ個所はマタイの年の待降節第一主日と枝の主日の2つの主日に、降誕のキリストと復活のキリストを迎える準備のために読まれます。

 その復活祭と降誕祭、晴れやかな心で、喜びに溢れて迎えるべきですが、どちらも華やかな日なので、つい楽しいお祭り気分でその日を過ごしがちですが、楽しさ、華やかさだけで終わるなら、それはそれなりに結構ですが、でも、キリスト抜きの降誕祭、復活祭に過ぎません。キリスト抜きの降誕祭、復活祭は似て非なるまがい物です。

 昔、聖餐のパンを受ける右手の掌をキリストの玉座にたとえたそうですが、あなたはキリストの玉座をどこに用意しますか。戸棚の片隅ですか、あなたの中ですか。

 キリストはわたしたちの間に宿られる方、その方に、《主の名によって来られる方に、祝福があるように》と、つねに歌って、その方を自分の玉座に迎える準備をしている人は幸いです。


祈り