他人事でなく

 律法学者たちとファリサイ派が手厳しく批判されていますが、この批判を自分に向けられたものとして読むと、私たちの中に潜むものが白日の下に曝されますから、この批判は他人事ではありません。

 私たちの心の中の片隅に、できるだけ楽をしたい。できたら重荷など負いたくない。うっかり声をかけて、他人の重荷を背負い込んだらたまらないから黙っていようという心が潜んでいないでしょうか。他の人からよく見られたい。他の人から尊敬されたい。他の人から賞賛されたい。他の人よりも目立ちたい。そのための労はいとわないという思いが潜んでいないでしょうか。

 私たちは、人を批判するときと同じ基準で自分をあるがままに見つめなければなりません。そうすると、まず自分と相手が五十歩百歩であることが分かります。

 主イエスは言われました。《あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい》(ヨハネ13章34)と言われました。

 主があるがままの私たちを愛されたことを思い出して、隣人をあるがままに愛する人は幸いです。


祈り