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今日の主イエスの言葉《疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしは柔和で謙遜な者だから》は、聖書の中で最も感動的な言葉です。 この言葉について、ルカ福音書10章は、宣教に送り出された72人が喜んで帰ってその成果を報告したとき、主も聖霊によって喜びにあふれて語られたと述べていますから、弟子たちは、最初は宣教に送り出された自分たちに向けられた、この言葉に慰められ、励まされた感動、その喜びを独り占めせずに、宣教に送り出された弟子という枠を越えて、他の人びとと分かち合ったので、この言葉が今も語り継がれているのです。 よく、「私にできることは何でもしますから、必要なときは何時でも、遠慮なく、そう言ってください」と言われたら、「面倒はご免ですよ」というサインだから、真に受けてはいけないと言われていますように、私たち、普通の人間が同じことを言えるかと考えますと、主イエスのように他の人を招くことは私共には不可能でないでしょうか。 実際、自分の今までを振り返ってみてどうでしょうか。周囲の人に主イエスのように言ったことがあったでしょうか。確かに、親は子に対して、看護婦は患者に対して、あるいは介護等の世話をする人は相手に、同じようなことを語り、実践するかもしれませんが、その場合は自分が関わる、極めて限られた範囲の人が対象です。 主は自分の周囲の近親者や弟子たち、同調者だけではなく、自分と相容れない道を歩む者のためにも《父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです》(ルカ23章34)と祈られた方です。私たちが自分、自分たちという枠を越えて、主イエスの赦しと慰め、そして祝福を他の人びとと分かち合うなら、私たちは祭司の国の民として、72人と同じようにこの世に送り出された弟子なのです。 《良い知らせを伝える者の足は、なんと美しいことか》(ローマ10章15)は、そのような人びとに実現するのです。
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●祈り