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私たちの国には、「天に代わりて不義を討つ」と歌って燃え上がり、近隣諸国で戦争をした、忘れてはならない歴史があります。その「天に代わりて不義を討つ」という考えがたいへんな誤りであることは敗戦という事実によって明らかにされました。 人は一つの考えや信仰に凝り固まったときに、自分は至上の存在の代行者だと信じて、物事を自分本位に受け止め、暴走するようです。 今日の主イエスを《何の権威でこのようなことをしているのか。だれがその権威を与えたのか》と問い詰め、断罪しようとした祭司長や民の長老たちも自分たちの声は神の声だ、自分は神の代行者だと、かたくなに信じ、だから自分たちは神の代行者としてこの世の秩序を守る権威と権力を神に委ねられていると自負していますが、洗礼者ヨハネの権威についての主イエスと彼らの問答は、そのような自負や信念は錯覚であると語っています。 神の言葉に堅く立つ信仰と、信念をもって信じることは違います。
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●祈り