キリストの 憤り

 今日の日課のキリストの言動は気短で、これが《実のならないいちじくの木》(ルカ13章7以下)で、もう一年待つ忍耐を説かれた方と同じ方の言動か、これが福音かと問いたくなりますが、それはキリストはお優しい方であるべきだという私たちの思いこみの産物です。

 思いこみは真実を見る目を曇らせます。

 いちじくは実がなっているときは葉を茂らせているそうです。逆に言えば、葉が茂っているときは実がなっているそうです。そして、この時代のこの地域で、道端の果実は旅に疲れた人が自由に食べてよかったそうですから、葉が茂っていても、実のなっていないいちじくは、疲れた旅人の疲れを癒さず、その疲れを倍増させるだけ、《疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう》(マタイ11章28)と人に希望を与え、生かすキリストの福音と相容れません。

 表示と中身の違う食品を販売して話題になった食品会社と葉を茂らせても実のなっていないいちじくを並べると、なぜキリストが憤られたかが見えてきます。


祈り