聖霊降臨後第7主日


もちろんあなたもそのままで

 今日の福音書個所には、矛盾しているように思えるところがあります。

 イエス様はまず弟子たちに向かって、働き手を送ってくださるよう「願いなさい」とお勧めになります。12人の弟子たちのほかに、新たに働き手が与えられて、その人たちが「飼い主のいない羊」、「失われた羊」を助けるために派遣されることを願っておられるようです。ところが実際には、そのすぐ後に、当の12弟子が遣わされていきます。それならば、「願いなさい」という代わりに、収穫のための働き手に「なりなさい」と書かれている方がわかりやすかったのではないでしょうか。

 12弟子の中にちょっとした形容詞がつけられた人がいます。徴税人のマタイ、熱心党のシモン、主イエスを裏切ったイスカリオテのユダなど。これらは少なくとも彼らの長所ではありません。こんな特技を持っていたとか、こんな評判の人であったということではないのです。むしろ、あまりよくない面と言えましょう。形容詞の特につけられていない弟子たちにしても、聖書の中で、特に名だたる活躍をしたこともない面々がいます。

 その彼らが結果的に働き手として遣わされます。しかも、病人をいやしたり、死者を生き返らせたり、と大変な任務のために遣わされます。それならば魔法の杖でも渡してもらえるかといえば、反対にほとんど何も持っていかず、裸一貫で遣わされます。

 でも、ここに私たちへの大きなメッセージがあります。

 私たちもまた、名もない一人一人です。宣教のために大きな力を与えてくださいと祈る者です。でも、その私たちが今、ここで遣わされる。特に、自慢できるほどの力もないままで。

 飼い主のいない羊、失われた羊をご覧になりながら、主は深く憐れまれます。そして彼らのために働き手が与えられるように祈りなさい、と勧められます。そして、次の瞬間、私たちは自分自身がその働き手とされ、遣わされることを知らされます。

 金も銀も持つことなく、ただ「主が共にいてくださる」という信頼だけを胸に遣わされていくのです。


祈り