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洗礼者ヨハネが無惨に殺される話が記されています。彼の名前は、ヨルダン川で民衆に洗礼を授けていた話の方がよく知られているでしょう。その時の彼の姿は、イエス様をお迎えするために道を通しなさい、と叫び続ける「声」であったと記されています(マタイ3章)。 彼は「声」であり続けました。たとえ相手が世の権力者であっても、あなたの行いは神さまに喜ばれるものではない、悔い改めなさい、と叫び続ける「声」であり続けました。その声を受け入れようとしない、人のかたくなさによって、彼は亡き者とされました。 イエス様のご生涯も、私たちに語りかける声です。天から響き渡る声、私たちの魂に語りかける声です。イエス様もまた、ヨハネと同様に、天の声、真実の声を、曲げることなく、躊躇することなくお語りになったために殺されました。私たちの心にも、真実の声に対して、耳をふさごうとするかたくなさがあります。けれども、そんな私たちだからこそ、主は変わることなく語りかけておられます。「立ち帰りなさい」と。畏れつつ、み声に耳を傾ける者でありたいものです。
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●祈り