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「ごめんなさい、もうしません」。……こんな言葉を言ったことや、言われたことがあるでしょう。 結果はどうでしたか? 本当にもうしませんでしたか? おそらくまた同じことを繰り返したのではないでしょうか。 今日の旧約聖書に出てくる預言者ホセアの妻はゴメルといい、結婚前から他の男性と関係を持っていました。 それでもホセアは彼女を愛し結婚します。 しかし結婚後もまたゴメルは別の男性のもとへ走るのです。 「ごめんなさい。 これからはあなただけを愛します」。とゴメルはホセアに言ったことでしょう。 それなのにまたホセアを裏切ったのです。 そんな経験があるので、イスラエルの民が悔い改めの言葉を並べ、《さあ、我々は主のもとに帰ろう》(ホセア6章1)と言うのを聞いた時、ホセアには神さまの気持ちが良くわかりました。「ほんとうなのか? 本当に悔い改めているのか? 本当に私を愛するのか? いやちがう。 お前たちの愛は朝の霧、すぐに消えうせる露のようだ」。 このイスラエルの民はまさに私たちの姿です。 「ごめんなさい、もうしません」と何度も何度も神さまに言ってはまた裏切る、それが私たちの姿、私たちの悔い改めの実態です。 しかしイエス様はそんな私たちの姿を知りながら、私たちの罪を背負って十字架にかかってくださいました。 悔い改めさえも罪に染まっている私たちを、それでも愛し、ゆるし、包むために。 自分を裏切ったゴメルを、それでもホセアは愛し、ゆるし、再び包みこみました。 これはイエス様の十字架の愛を象徴しています。《主は……我々を打たれたが、傷を包んでくださる》との言葉は、イエス様の十字架によって実現したのです。 今や私たちはキリストの血によって義とされ、神さまと和解しました。 喜びましょう。 安らぎましょう。 妻が夫の胸に抱かれて安らぐように。 そして罪を犯してしまったら、心を込めて、愛を込めて「ごめんなさい」と言いましょう。
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●祈り