聖霊降臨後第五主日


この岩の上に

 普通、教会で結婚式を挙げる場合、牧師はそのカップルに何回か「結婚カウンセリング」を行います。 その時私はいつも、今日のテキストである「岩の上の家、砂の上の家」の個所を一番はじめに読むことにしています。 土台のしっかりした家庭を築くためにまず聖書の教えに耳を傾けましょう、というわけです。 結婚を控えている2人はたいてい真剣に聞いてくれます。 ところが結婚式が終わったら、ほとんどのカップルは、もう教会にはおいでになりません。 御言葉が心に刻みつけられなかったのか、と、少しさびしい気持ちになります。

 しかし、では私たちは本当に御言葉が心に刻みつけられているのでしょうか。 今日の申命記の個所を見ると、神の言葉を心に、魂に、手に、額に、家の戸口にまで刻め、と言われているのに、結局イスラエルの民は御言葉に従わず、祝福ではなくのろいを選んでしまいました。 私たちも同じです。 御言葉が命じていることにいつも逆らい、自分の思うままを行なっている。 御言葉を心に刻みつけたつもりが、まるで砂に書いたようです。 すぐに忘れて罪を犯してしまうのです。

 そんな私たちを救うためにイエス様が十字架にかかってくださいました。 私たちには御言葉を行うことが決して出来ないので、義なるイエス様が身代わりになってくださったのです。

 ルターは修道士時代、自分で御言葉を行おうとして、「正しい」とされることを徹底的に行いました。 しかしその行いを神が認めてくださったとはどうしても思えず、長い間苦しみ続けました。 やがてローマ1章17節の《正しい者は信仰によって生きる》という御言葉によって、ついにわかったのです。 自分は罪人であって、どうがんばっても神の御心にかなう行いは出来ない。 しかし、イエス様がそんな自分の罪を背負って十字架にかかってくださった。 ただイエス様にすがる信仰によってイエス様の義を着せていただき、「正しい者」とみなしていただけるのだ、と。

 イエス様にすがる信仰、これこそ土台とすべき岩なのです。 この岩の上に少しずつ御言葉は刻まれていきます。 そしてこの岩の上に立つ者は、どんな嵐が来ても倒れることはないのです。


祈り