主は近くに

 山上の説教の総まとめに置かれている言葉です。 ですからこれだけ取り出して読むと、信仰というものは安楽な道を選んで生きることではない、人生を厳しく修行しつつ生きる狭い門なのだといった誤解が残るかもしれません。 けれどもこの言葉は、あの「幸いなるかな」という呼びかけで始まる、いのちの言葉の総まとめなのです。

 狭い門という言葉は、私たちにそこに入ることができない人がいる、ということをイメージさせます。私は中学生の時、タバコを吸って補導されたことがあります。そのときから、再び教会に行くまでに6年の歳月を必要としました。自分は「光の子」から落ちたと、補導された時に思ったからです。ルターは「あなたにとって神が最も遠いと感じる時、神はあなたに最も近い」と言います。イエスさまの十字架の赦しの中に私はある、ということを選ぶことが狭き門を選ぶことなのです。救いから遠いと感じる時にこそ、救いは近くにあるのです。

 この恵み深い狭い門を、決断して選び取る、そのような一日を今日も過ごしましょう。


祈り