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河合隼雄先生は、傾聴ということについて、もし学校に行くことができないという患者さんに対して、表面では「それはそれでいいじゃないか」と受け入れたとしても、心の底から「それでいいのだ」と思わない限り、それは本当の意味で傾聴していることにはならない。何か前提を持って聞くということは、時には裁きにしかならないとおっしゃっています。人間は人の話を聞くということにおいても裁くということを教えられ、本当に恐ろしいことだと思いました。 イエスさまは今日、他人の目にあるのは「おが屑」、自分の目にあるのは「丸太」と言われています。あなたが人を裁くとき、あなたの目には相手より大きな丸太があるのだ。神さまにかわって裁こうとする、あなたの心が一番大きな丸太なのだとイエスさまは言われるのです。 《まず自分の目から丸太を取り除け。そうすれば、はっきり見える》。はっきりと澄んだ目で隣人と共に赦されつつ、赦しつつ歩んでいきたいと思います。
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●祈り