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腹を立ててはならない、姦淫してはならない、離縁してはならない、誓ってはならない。 どの「してはならない」も同列に扱われていることに注意をしたいと思います。 自分は、腹が立つ時はあるけれど、離縁してはいないからましだということではないのです。 どの命令も同じように扱われています。 あれこれをした、しないということではなく、ここで「してはならない」と言われることの意味を考えることが重要です。 もしこれらの掟を禁止命令と考えて、私たちを縛るものとして見るならば、もちろんそれは大変なことです。 いえ不可能と言った方がいいでしょう。 私たちは誰一人イエスさまの説教に従うことができないということになってしまいます。 けれども今日与えられた4つの掟をよくよく読み返していくと、もしこのように生きることができるとするならば、それはすばらしい人生がそこにあるということも予感します。 もし腹を立てずに生きることができるならば、もし隣人を物のように扱うことなく生きることができるならば(姦淫)、もし真実の結婚生活を送ることができるならば(離縁)、もし唇にうそを持たず誠実に生きることができるならば(誓わない)。 どうでしょう、それは本当にすてきな、すがすがしい毎日になるのではないでしょうか。 ルターも小教理問答で言いますように、これらの掟は、「さあ、あなたもこのように生きていこう」という神さまからの励ましであって、禁止命令ではないのです。 イエスさまの十字架によって罪赦された喜びに生きる者が、喜んで選んでいく方向としてイエスさまはここで語られているのです。 「髪の毛一本すら、あなたは白くも黒くもできない」とイエスさまは言われます。 まさにその通りです。 罪赦された罪人として、律法に縛られるのではなく、喜んで律法を選ぶ幸いを生きたいと思います。
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●祈り