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イエス様は、山上の説教において開口一番に《幸いなるかな》と語られました。ギリシア語の聖書では、「マカリオイ」という言葉で始まっています。この言葉は、「祝福に満ちた神」というように、しばしば神さまの名前といっしょに使われます。聖書は、神さまが与える幸せと、人間が自分からつかみとる幸せとをはっきりと分けています。 ルターは、自分が神さまとの関わりにおいて、自分の貧しさを深く知っていました。自分の貧しさゆえに、ただ神さまの憐れみを乞い御言葉を求めました。 神さまは、御前に出るには本当に恥ずかしいと悔いている者を受け入れてくださいます。そして、その欠け・貧しさ・罪を覆ってくださるのです。 ここでは《天の国はその人たちのものである》と現在形で天の国が語られています。天の国は、私たちの日々の生活の中にあります。今、お会いしてくださる復活のイエス様です。主がおられるところでは、貧しさも悲しみもすべてが祝福に変えられます。
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●祈り