|
待降節から始まった教会暦は、聖霊降臨日を頂点にして、キリストの期節から、教会の期節に移ります。 このふた月ほどの間に、キリストの受難、復活、昇天という、あまりにもさまざまのことがありました。 思えば、急激な移り変わりです。 弟子たちも、大きく変わりました。 それは、キリストの復活と、聖霊の降臨とによってでした。 《あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける》という、イエスさまの最後の言葉が、人を驚かせる大きな働きをすることになったのです。 その日のことは、使徒言行録に、ドキュメンタリータッチで、記録されています。 まず、弟子たちが、ほかの国々の言葉で話しだしたというのです。 ときあたかも五旬祭、《天下のあらゆる国から帰って来ていた人たちが、だれもかれも、自分の故郷の言葉で、使徒たちが話をしているのを聞いた》のですから、あっけにとられて、驚き怪しむのも当然でした。 《新しいぶどう酒に酔っているのだ》と、あざける以外に説明がつかないことでした。 父なる神さまが約束された力が、ここで、どのように発揮されていたのでしょうか。 以前、本屋に立ち寄ったとき、「逆引き広辞苑」が目に止まり、「力」という文字が下についている熟語が幾つあるか、立ち読みして数えました。 老眼鏡を忘れていましたので、苦労の末、 234まで数えました。 買い求めて、ゆっくり確認したかったのですが、財布の中身は足りませんでした。 その日の私には、視力も、財力も、お金を持って出直す体力もありませんでした。 こんな風に、力という文字が下についている熟語が、いろいろな場面に登場します。 世の中では、ことほどさように、さまざまの力を必要としているのです。 弟子たちが、自分たちの分かる言葉で、神の偉大な業を語っているのを聞いた、その日の群衆は、弟子たちの力の目撃者でした。 そして、この力は、イエスさまが、《わたしの証人となる》と言われた、そのために与えられた力に他なりません。 私たちの信仰生活に、その力が必要な場面を、まず求めて、力を受けたいものです。
|
●祈り