単純明快

 今日の日課は、この時代には、教会の働き人として「長老」は専従職になっていたことが想像されます。しかも労苦の多い。

 私の友人で、某大企業の面接で「あなたは会社のために多少の無理は通せますか」と尋ねられ、「無理が通れば、道理が引っ込みます」と応えて、不採用になった豪傑がいます。

 教会の働き人に労苦が多いのは、この男のように権力や権威に惑わされずに、単純明快に、

 1、相手が必ずしも自分と同じ感性をもたず、たとえ自分とまったく正反対の発想をする人であっても、その人が神に愛されていることを伝えるのが使命だからです。

 2、自分の好き嫌いや都合を後ろに退け、依怙贔屓せず、時がよくても悪くても接する人びとにみ言葉を取り次ぐからです。

 3、つねに、神の言に従って、正しいことは正しい、誤りは誤りとして指摘するからです。

 たとえ専任の「長老職」でなくても、神の言葉を曲げることなく、単純明快に伝えたいものです。


祈り