不安に揺らぐ心へ

 「セコムしてますか」とブラウン管の向こうで、長嶋さんがほほえみかけます。大切な家族や財産を守り、安全な暮らしを求めて、即座に対応してくれる警報システムが導入され、各自が、より頑丈な鍵を作ったり、保険に入ったりいたします。田舎で育ったわたしは窓も戸もしめずにいてもさして気になりませんが、東京育ちの妻は寝る前かならず二重に鍵をします。物騒な世の中ですから、だれもが日常的に安全に気を配るのは当たり前のことでしょう。

 けれども、絶対安全という保証は、残念ながらだれも約束はできません。どんな安全も保証も、明日崩れてしまうかもしれないのですから。

 聖書はしばしば、終わりの日は、夜、盗人のようにやってくると言います。ちょっと不安になる言い方です。これに対する安全はどこにあるのかと、考えたくなるところです。

 《目覚めていても眠っていても、主と共に生きる》、これが、聖書がさし出す安全です。夜、盗人のようにその日が来るとしても、この信仰が平安に満ちた今を約束してくれます。


祈り