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子供の頃、日曜日よりも、土曜の夜の方がわくわくしました。旅行に行く時も、旅行そのものより計画をたてたり、準備をしたりすることが、とても楽しかったという感覚があります。救い主が来たということも喜びですが、これからもうすぐ救い主が現れる。そんな状況も胸踊るものです。自分のあとにいよいよ偉大な方が現れる、洗礼者ヨハネはそう確信しながら、その道を整えていました。 私たちは世の終わりに2つのことを克服するでしょう。一つは死であり、一つは罪です。両方とも人間の力によって克服できるものではありません。神の子メシアによって克服できるものです。人は自力で克服できないような問題は、なるべく見ないようにして生活しています。人の死や人の罪については話題にしますが、自分の死や罪はあまり考えないようにしているのです。 しかし、救い主が現れる前に、私たちは救い主と出会う準備をするのです。その準備のための奉仕を洗礼者ヨハネが行っていました。洗礼者ヨハネが行っていた準備とは、人々に水で洗礼を授けるということでした。ヨルダン川に多くの人が入り、ヨハネの元で頭の先まで川に沈みます。罪が清められ、一度死んで新しい命を生き直すことが象徴されています。 キリスト者はこの洗礼に毎日たち返ることが求められています。そして人々に主の道を整えるヨハネの働きを求められています。人々に自分の死と、自分の罪を見つめなおさせることです。洗礼者ヨハネは時の国王の罪さえ指摘しました。そのために国王に捕らえられます。しかし、自分の罪をストレートに指摘する洗礼者ヨハネに国王は興味を持ったようです。 自分の罪と死を見ないようにしながら一生を送るより、自分の罪と死を直視し、救い主に委ねる生き方ができれば、人はもっと自由になれます。 もうすぐクリスマスです。もうすぐ救い主の誕生です。イエス様は再び生きている人と死んだ人を裁くために来られます。この待降節の季節に自分の死と罪を見つめなおし、こんな自分に救い主が与えられることを祈り願い、クリスマスの喜びを大きなものにするために、改めて自分を問いなおしましょう。そうして救い主が来られる道を整えておきましょう。 |
●祈り