主は生きておられる

 エリフは「人間が何か言ったところで、神が言い負かされるだろうか」と語り、「全能者を見いだすことは私たちにはできない。神は優れた力をもって治められる。憐れみ深い人を苦しめることはなさらない」と語ることで、ヨブの苦しみには弁解のないことを明らかにしています。つまり《ヨブの罪のゆえに、ヨブは罰せられる》というのです。

 エルフの語る神さまは、いわば《一分のすきもない神さま》と言っていいでしょう。全知全能の神さま、このような神さまに誤りはない。人の苦しみは、その人自身の罪、あるいはその先祖の罪、それが人を罰として苦しめる。正しい人を神さまは苦しめられるはずはない。エリフの神さまは、その意味では《機械のような神さま》とも言えます。人の罪に応じて、神さまはスーパーのキャッシャーのように、罰を与えられるのです。

 エリフ自身が語るように、人間が神さまを語る限り、このような限界がいつもあります。理屈では神さまを語りきれないのです。しかし、《主は生きておられる》(ローマ14:11)。人知でははかり知ることのできない神さまの愛、ヨブはその神さまに問い、祈っているのです。


祈り