私たちの主はどんな方なのか

 ルターは、《神の仮面》という言葉を好んで用いたと言われます。私たちが神さまを見たときに、神さまはいつも怒っているように、あるいは私たちを見捨てたかのように《見える》。しかし、それは仮面であって、その仮面の後には、私たちを愛してやまない慈しみ深い神さまがおられる。この仮面の背後にある、神さまの恵み深い眼差し、それを見るのが信仰だというのです。

 神さまが私たちの人生に真剣に関わろうとすればするほど、神さまが地上に登場するときに必ず雷鳴が鳴り響いたり、地震が起きたり、目が見えなくなるほど光輝いたりするように、私たちの目から見れば《裁き》のようにしか思えないことが起きるのです。エリフが苦しむヨブに「神を待つべきだ」と語り、ヨブが自分を信仰を見直すように正すことは、一見正しいように見えます。しかしエリフの言葉には、今苦しみにあるヨブを救う力はありません。

 このような苦しむ者、見捨てられたかのように思える時こそ、神さまは私たちに最も近いところにいてくださる。このことを確信できるのが、私たちの信仰なのです。


祈り