なぜ災いがきたのですか

 幸いを望んでいたヨブに来たのは、災いでした。今までヨブに祝福をもって臨まれていた神は、反転して、ヨブにこれでもかというほど残酷な方になられたように思えました。神の御性質が変わられたのでしょうか。いいえ。決してそのようなことはありません。

 河野進先生の詩に、「病まなければ ささげ得ない祈りがある 病まなければ 信じ得ない奇蹟がある 病まなければ 聞き得ない御言がある 病まなければ 近づき得ない聖所がある 病まなければ 仰ぎ得ない聖顔がある おお 病まなければ 私は人間でさえもあり得ない」という作品があります。

 私たちは誰もが幸いを望みますが、災いとしか思えないことが起こることがあります。災い、病とは、ただ私たちに負を与えるだけのものなのでしょうか。不合理にしか思えない苦しみの中で、ただ苦しむとき、しかしこの中にも神が、私を愛していて下さる神がおられるという真実に心を止めていきたいと思うのです。神は、私たちをただ苦しめる方ではありません。神の側での愛の目的が必ずあられるのです。


祈り