目が注がれて

 悪人は、やがて罰を受け、善人には、報いがある。だから、良いことを心がけなさいと、多くの宗教が説いています。

 聖書も、やがて、神さまが、善人と悪人とを選(よ)り分ける時が来ると教えています。

 ヨブも、ここで、悪人の横暴な振る舞いについて、語っていますが、たしかに、どうして神さまは、こんなことを放っておかれるのかと思うようなこともあります。

 そんな現実の中で、私たちがしなければならないことは、神さまをなじったり、論争することではありません。圧制や貧困の中で苦しんでいる人の声を聞いて、助けの手を差し伸べることです。なぜかというと、私たちがとやかく言わなくても、《その歩む道に、目を注いでおられる方がある》からです。その御方は、ちゃんと計算された「時」を持っておられます。

 《時が満ちると、神は……》(ガラテヤ4章4)。私たちは、ヨブのように、正しく神さまに向き合いながら、祈りながら、やがて満ちる「神さまの時」を待っているべきです。


祈り