聖霊降臨後第26主日


励ましあいながら

 テサロニケの信徒たちの信仰生活は、ここを読んで知るところでは、とても良い状況だったとは言えません。むしろ、ひどい苦しみの中にあったことが分かります。

 それでも彼らは、《聖霊による喜びをもって、御言葉を受け入れ》(1章6)ていました。

 そして、回りの諸教会の、《信者の模範》(1章7)にさえなっておりました。

 さらに、《あらゆる困難と苦難に直面し》ていたパウロたちが、彼らの《信仰によって励まされ》たとあります。パウロは、彼らのことを喜び、神さまに感謝しています。

 ひるがえって、私たちは、それぞれの教会で、お互いのことで喜びに溢れているでしょうか。回りの教会の模範になるようなことが、あるでしょうか。

 そう言われると、自信がありません。

 けれども、パウロも、《主が、あなたがたを、お互いの愛と、すべての人の愛とで、満ちあふれさせてくださいますように》と、祈っています(3章12)。

 そこには、「主が」という言葉が、真っ先に書かれています。

 この一言が、私たちの拠(よ)りどころです。

 愛を豊かにできるのは、私たちの功績(いさおし)によるのではありません。

 そうさせてくださるのは、主イエスさまです。

 神さまの愛は、無限です。愛しても、愛しても、背いて行くイスラエルに対しても、どうして《お前を見捨てることができようか》と言われるほどです(ホセア11章8)。

 その、神さまの愛が、私たちを整えてくださいます。

 《わたしたちの主イエスが、あなたがたの心を強め、父である神の御前で、聖なる、非のうちどころのない者としてくださる》(3章13)、この愛を、受け入れることです。

 この私に、この欠点だらけの私に、神さまが、目を留めていてくださる。

 この喜びを、回りの人たちにお分けすることができたら、それで十分です。


祈り