執り成してくださる方

 ヨブほどではないとしても、人生には、試練や艱難が、かならず襲ってくると言ってもよいでしょう。その時、自分が何か悪いことをしていた、神さまに背いていたと、思い当る人は、まだ幸いです。悔い改めて、神さまの赦しを求める姿勢も生まれてくるからです。

 しかし、ヨブのように、心から神を敬い、信仰者として正しく生きている人の方が、むしろ、なぜだろうと問いたくなるのではないでしょうか。

 《わたしの手には不法もなく、わたしの祈りは清かったのに》という嘆き、悲しみが、不信につながって、神さまから離れていくことも少なくありません。

 けれども、「幸せだから神さまの恵みが感じられる」ということではなく、試みにあってもなお、神さまに信頼するのが信仰です。試練が来ると、誰でも動揺してしまいますが、そうした中にも神さまの御手は差し延べられています。ヨブが言ったように《このような時にも、わたしのために執り成す方》がおられるからです。そのことに感謝して、試練を乗り越えたいものです。


祈り