聖霊降臨後第25主日


敬神愛人

 ユダヤ教には、ファリサイ派、サドカイ派、エッセネ派などがあったことが明らかです。同じユダヤ教といっても、サドカイは当時の支配階級に属する者が多く、親ローマ派でした。ファリサイは旧約聖書の律法に厳格に服従しましたから、当然、反ローマの立場を取りました。両者は対立していたのです。エッセネは超然と世俗社会をこえ、エルサレムの離れたユダの荒野で禁欲的生き方をしていました。今日の福音書には、サドカイとファリサイが登場しています。律法(神さまの御心が成文化されたもの)に詳しいファリサイ派の学者が、イエス様に意地悪く質問をします。「先生、律法の中で、どの掟が最も重要でしょうか」。

 学者たちは正解を知っていて、イエス様が正しく答えるかどうかを試しているのです。もし、イエス様が間違えば、ユダヤ教の教えに反する者として訴える口実になるからです。

 多くの掟(律法)の中で、最も重要な教えは「神を愛し、人を愛せよ」という掟でした。

 第1の教えは、旧約聖書「申命記」6章5節に書かれており、ユダヤ人なら誰でも幼い時から覚えさせられた聖句でした。「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい」という申命記6章5節は「シェマー」と呼ばれ、ユダヤ人は1日に3度は唱えたといいます。額や手首に、この聖句を書いたものをつけたり、入り口の柱につけて、家の出入りにはそれに触れたり、口づけしたりしたそうです。

 第2の教えは、旧約聖書レビ記19章18節に記されている「隣人愛」の教えです。

 この2つこそは、旧約聖書(40節の律法全体と預言書)を完成するものだ、とイエス様は答えておられます。キリスト教は「愛の宗教である」といわれることがありますね。使徒パウロもコリント書13章で「信仰と希望と愛、この3つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である」と語っています。イエス様ご自身が愛に生きた救い主であられ、最後には十字架上にご自分の命を犠牲にして、私たちを愛し通された愛の主でありました。イエス様の生き方に倣(なら)い、私たちも「神様を愛し、隣人を愛する」人生を共に歩みましょう。


祈り