聖霊降臨後第23主日


王の招待

 今日の福音書の日課は、ルカに似た内容の記事が出ていることが示されています。でもマタイとルカ、内容は似ていますが伝えようとしていることは大きく違っています。マタイで宴会を開くのは「王」、ルカでは「ある人」です。宴会もマタイは「王子のための婚宴」、ルカでは「盛大な宴会」です。なぜマタイとルカは同じような内容の話を伝えながら、設定が異なっているのでしょうか。その答えは、自分が、同じ招かれるなら、「盛大な宴会」と「王子の婚宴」のどちらに招かれる方が名誉に思うか、どちらに招かれる方が嬉しいか、どちらを断る方が、同じ断りでも失礼かを考えれば出ます。

 ルカと異なって、マタイでは、王の招きを受けた人びとは、その招きを2度も無視し、そして2度目は、その王の使者を捕らえ、乱暴し、最後には殺しています。この人びとの行為は王の権威に挑戦し、否定するものです。ですから、招待者の「王は怒り、軍隊を送って」、招待を受け入れなかった人びとを滅ぼし、その町を焼き払っています。

 キリストはこのたとえで、王と人びとの対立の姿の中に、ご自分と当時の民の指導者、そして神と人間が激しい敵対関係にあることを述べています。どれほど周囲の目に敬虔に映ろうと、神と自分との関係を自分中心なものにするなら、私たちはそのことによって王の招きを拒み、その使者を殺した人びとと同類なのです。

 この王は誰を指しているか。キリストご自身です。「今日こそ、主の声に聞き従わなければならない。」(詩65編7)とあります。私たちは王なるキリストに招かれたとき拒んではいけないのです。

 この招きを受けたとき、自分にその資格があるだろうかと考えることはありません。王が招待者を一方的に選んだように、キリストが「私」を一方的に選び、招かれるのです。また自分はふさわしい準備ができるだろうかと悩む必要もありません。王が王子の婚宴の招待者の務めとして、招いた者のためにふさわしい礼服を用意して、与えたように、「私」を婚宴にふさわしく装ってくださるのです。


祈り