限りなく近づいても

 親友ヨブの苦悩を共に痛んだ賢者エリファズですが、自分が考え、積み重ねた知恵で、必ず君は過去に自分もそれと知らない罪を犯しているのだから、そのことの赦しを神に乞い願え、そうするなら神は必ず救われるとヨブに助言します。

 そして追い討ちをかけるように、このことを認めない「愚か者は怒って自ら滅び、無知な者はねたんで死に至る」。「ヨブよ、いまの君は、まさにそうだ」とヨブを攻め立てる一方、「見よ、幸いなのは神の懲らしめを受ける人」と、今の苦しみを神の祝福のように受け止めよ。災いも過ぎ去れば幸いの序曲となるのだから、早く悔い改めるように苦しむヨブに迫ったのです。

 このエリファズの言葉、なるほどと思わせる説得力はありますが、ヨブと苦悩を共に痛んだ者の言葉としては他人行儀すぎ、空々しく感じられます。それは、彼が確かにヨブの身体的な苦悩を共にしていても、ヨブの深いところの苦悩は推し量るだけで、自分のものにしていないからです。

 どれほど正しく、善意に満ちていても、建前論は、ことの真実に限りなく近づいても、虚しく響いて終わることがあることに注意しましょう。


祈り