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「我が輩は猫である。名はまだない」。有名な我が輩は猫であるの書き出しです。漱石はこの書き出しで猫の姿を借りて、無名の冷静な第三者の目で人間を観察しているそうです。 サタンの戯れは、ヨブのすべての財産を奪っただけでなく、素焼きのかけらで体中をかきむしらなければ耐えられない、ひどい皮膚病にかからせ、ヨブを塵芥(じんかい)処理場に禁忌(きんき)の人として追いやりました。神がサタンにそのような戯れを許したのは、神がヨブの信仰に堅い信頼を寄せたからです。 神に信頼されることは素晴らしいことですが、漱石の猫の冷静な第三者の目にヨブはどう映るでしょうか。ヨブの妻が無名で登場します。ヨブが神に誠実であっても、その誠実に応えてくれない神は無用の存在だとヨブに語る彼女の姿は漱石の猫のそれと共通しているような気がします。ヨブの妻のように、自分の周囲に起こる出来事を観察するなら、私も彼女と同じ結論にいきつきかねません。 自分の周囲に起こるさまざまな事柄を猫やヨブの妻のように人間の目で見、知恵で受け止めるのではなく、神との関わりの中で見、受け止めましょう。 |
●祈り