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本日の聖書日課はぶどう園の主人がぶどう園を農夫に貸したところ、彼らはぶどう園の収穫を我が物にしようとする記事が記されています。しかも、収穫を受け取りに行ったぶどう園の主人から遣わされた僕を《一人を袋だたきにし、一人を殺し、一人を石で打ち殺した》と聖書には記されています。そしてもっと恐ろしいことに《「わたしの息子なら敬ってくれるだろう」と言って、主人は自分の息子を送った》ところその息子も殺されてしまったのです。この出来事を日本の法律で裁くなら、背任、横領、傷害、殺人という罪になり、厳しい刑罰を免れることは出来ません。 このような大きな罪を犯す者は一体どのような極悪人であるかを考えてみますと、今日の聖書日課に記されている農夫たちはエジプトで奴隷としてこき使われているところを神さまによって助けられ、神さまに命救われ、すばらしいぶどう園を貸し与えられたイスラエルの民を指しています。彼らは神さまによって命救われ、イスラエルというすばらしいぶどう園を貸し与えられたにもかかわらず、その祝福と信頼を忘れ、おごり高ぶり、神さまから遣わされた預言者たちを迫害し、殺し、最後には神さまのみ子であるイエス様をも十字架につけて殺害していったのです。 このイスラエルの民の歩みこそ人の罪の真の姿を私たちに明らかにするものです。自分の利益や、欲望を成し遂げるためなら、どのような恩義のある人でさえ、騙し、抹殺し、暴利をむさぼる。これが罪ある人間の姿です。そして農夫であるイスラエルの民は自分たちが神さまに背を向けていること。大きな罪を犯していることに気づくことはなかったのです。 今日の聖書日課に記されている農夫は私たちの罪の姿でもあります。私たちもまた、自分の欲望のために神さまに背を向け、神さまの祝福を足蹴にするものなのです。イエス様が十字架上で苦しみ、その血潮を流し、苦しまれる姿に、私たちの弱さ、醜さ、罪深さを重ねて見る人生は幸いです。イエス様の十字架上の痛みを知る人生は幸いです。私たちは私たちの罪の深さ、重さがわかるからこそ、イエス様の愛の深さ広さがわかるのです。本当の自分の罪に気づく者がイエス様の真実の愛を知る者となるのです。 |
●祈り