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人は誰しも生きる上で拠って立つところ、拠り所と言うものがあります。クリスチャンはもちろんキリスト信仰を拠り所として生きています。ところが、キリストを拠り所としているクリスチャンが心ならずもよこしまな思い、汚れた欲望に振り回されることがあります。 聖書は私たちの身のまわりに、分裂、争い、ねたみがあるなら、私たちの拠って立つところをもう一度確認する必要があることを語ります。私たちはキリストに拠って立つといいながらしっかりと私たちの持つよこしまな思い、汚れた罪に人生の基盤を置いていることはないでしょうか。私たちが持つよこしまな思い、汚れた罪の結果として争いがあるのです。《あなたがたは最も聖なる信仰をよりどころとして生活しなさい》と聖書は私たちに語りかけています。もし私たちの身のまわりに、そのような争い、分裂、ねたみがあるなら、私たちは信仰の原点に帰り、聖なる信仰を拠り所として生きる人生の意味を考えなくてはなりません。聖なる信仰を拠り所とした人生には分裂、争い、ねたみではなく真実の愛があるからです。 |
●祈り